2010年11月08日

『アガタ』公演に寄せて


『アガタ』公演に寄せて、11月11日(木)に行われるプレ・トークイベントにご出演の小林康夫先生から、テクストをいただきました。
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「思い出は、思い出を担っているわたし達よりも強い…」と最後にアガタが言う。わたしが過去のなにかを思い出すというのでは足りない。それよりも圧倒的ななにかが、そこに!ある。すでに過ぎ去ったはずの出来事が、圧倒的な力で、いまもそこにある!そして、デュラスはおそらく言うのだ、「そのようなものこそが真正の〈愛〉なのだ」と。

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渡邊守章先生が「アガタ」を演出するという。しかもダンスと語りの言葉とがぶつかり合う―もちろん世界初!だろう−−独創的な、画期的なスタイルに挑戦するときいた。だが、よく考えてみると、このスタイル、まっすぐから「アガタ」という作品の核心を突いた恐るべき〈正解〉ということが解ってくる。

この作品のテーマは、アガタと兄との近親相姦の愛だが、しかしデュラスのテクストは、それを物語として展開しているのではなく、ふたりが愛の不可能性そのものを−−絶望的に、しかし快楽なしにではなく−−共有しようとするドラマとして書いている。つまり、まさに言葉と眼差し(イメージ)の「あいだ」こそがドラマの場なのだ。肉体がそのまま言葉を発するのではなく、むしろ言葉を通して肉体を見出すことーーそれこそ、この戯曲だけではない、小説にも映画にも共通するマルグリット・デュラスの根源的な〈方法〉なのである。
 
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デュラスは愛の作家だ。だが、愛する者をかならずや人間存在の限界にまで連れ出してしまうような危険な、恐怖にみちた、不可能な愛の作家である。1984年の小説『愛人(ラマン)』でみずからのインドシナの幼年時代の愛を語って世界的な成功を収めたが、その原型のひとつはこの「アガタ」でとうとう近親相姦的愛の核心をつかみ出したことにあるのは確かだろう。

いや、近親相姦の愛は、自分には無縁のものだなどと言ってはならない。すべての愛は、それが真正のものならば、どこかで近親相姦的相貌を呈するのだから。不可能な思い出の奥にどんな美しい、白い、輝かしい肉体が横たわっているか、その肉体のダンスを見届けなければならない。

小林康夫

京都芸術劇場ニュースレターvol.17より

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渡邊守章/京都造形芸術大学 舞台芸術研究センター
『アガタ』
11月20日(土)・21日(日)、京都芸術劇場 春秋座

※詳細・チケットはこちらから

『アガタ』プレ・トークイベント/明倫ワークショップ
渡邊守章×小林康夫
11月11日(木) 17:00〜19:00
京都芸術センター・ミーティングルーム2
入場無料

※申し込みはこちらから


KYOTO EXPERIMENT 2010.10/28(Thu.)-11/23(Tue.)

公式ウェブサイト  http://www.kyoto-ex.jp
ツイッターアカウント  http://twitter.com/kyoto_ex
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2010年11月07日

アジアの反時代的精神はエキゾティシズムを祓い退ける――ピチェ・クランチェン『About Khon』日本版に寄せて

ダンス評論家の武藤大祐さんから、ピチェ・クランチェン上演に向けてのメッセージをいただきました。

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古くからダンスの宝庫として知られるアジア。しかしそのダンスの美がつねに政治と切り離せないものであることは、あまり知られていない。

宮廷や寺院を母胎に育まれてきた古典舞踊の美が「政治的」だというだけなら話はやさしい。しかしアジア各地のダンスは、とりわけ近代に入ると、自らの強烈な美と魅力によって苛まれてきた。煽情的だとバッシングされ、西洋風の「改良」を受けたり、王権の庇護を失って通俗化する一方で、「高尚」過ぎると大衆に見放され、はたまた過剰に保護されて博物館にしまわれてしまったり、実にさまざまな命運をたどった。

中でも、いまだに厄介な問題であり続けているのが「エキゾティシズム」である。異国情緒あふれる奇抜で魅惑的なテイスト、野性的でミステリアスな官能性……と表層を無邪気に消費したがる他者のまなざしこそは、本来そこにあるはずの奥深さに「神秘」のヴェールをかぶせ、異文化とその歴史を理解する道を閉ざし、商業主義の力でダンスを痩せ細らせてしまう。

ピチェ・クランチェンは、16歳の時からタイの古典仮面舞踊劇「コーン」を学んだ。そして近年、まさにこうしたエキゾティシズムをテーマとした作品を発表し続けている。いま、世界で最も批評的な現代ダンス作家の一人といえるだろう。

コーンは17世紀のアユタヤ王朝時代に発達し、歴代の王によって受け継がれてきた。しかし20世紀にタイが立憲君主制に移行すると衰退し、今日では観光客向けの娯楽としてリゾートホテルのプールサイドで演じられたりしている。ピチェの作品はこうした時代の趨勢に抗い、世代を超えて人々が蓄積してきた美意識と知性の結晶に新たな光をあてようとするものだ。

もちろん、伝統舞踊の様式にもとづいた斬新な振付で観客を魅了する作家はアジアに多く存在する。しかしピチェはいま、そうした方向へ向かっていない。身体だけでなく、テクストや映像など様々なツールを非常に効果的に使って、観客に「問い」を投げかけるような作品を発表し続けている。その手法はきわめてコンセプチュアルでありながら、古典ならではの重厚な身体技法に裏打ちされた説得力を備え、見る者を複雑に絡み合った「問い」の渦の中に巻き込んでしまう。

たとえば『I am a Demon』('06年初演)は、ピチェ自身の精密な反復運動とともに、必要最小限の映像や音声が挿入されることによって、彼が師匠から稽古を受けていた時の様子が浮かび上がり、「伝統」と「現在」のリアルな関係が舞台上でさらけ出される。最新作『Nijinsky Siam』('10年初演)は、まさにエキゾティシズムを売り物にしていたロシア・バレエ団で、あのニジンスキーがタイの古典舞踊をもとに踊った作品に対するコメントである。いずれも、異文化表象についてまわる過度の神秘化やエキゾティシズムへの批評的視点をパフォーマティヴに提示するもので、そこで観客が受け取るのは、「文化とは何か」「世界の複数性とはどういうことか」という、きわめて今日的な思考課題にほかならない。

今回上演される『About Khon』は、こうした一連の作品の起点ともなったフランスのジェローム・ベルとの共作『ピチェ・クランチェンと私』('05年初演)の姉妹編である。『ピチェ・クランチェンと私』は、ピチェとジェロームが互いのダンスとその文化的背景について、実演を交えながら対話を行うことで、観客に異文化との「出会い」を切実に体験させる名作だったが、今回の『About Khon』日本版で、ピチェは日本の山下残との対話を試みる。ジェロームとの共演が「ヨーロッパ」と「アジア」の出会いを意味していたとすれば、今回はいったいどんな出来事が生まれるのだろうか。

期待は高まるばかりだ。

武藤大祐


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ピチェ・クランチェン ダンスカンパニー
『About Khon』
11月12日(金)〜14日(日)、京都芸術劇場 studio21


チケット発売中です!
お見逃しなく!!

KYOTO EXPERIMENT 2010.10/28(Thu.)-11/23(Tue.)

公式ウェブサイト  http://www.kyoto-ex.jp
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ピチェ公演 ツイッターアカウント http://twitter.com/kyoto_ex_pichet
posted by KEX at 12:33| Comment(2) | スタッフ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年11月06日

森!霧!鳥!etc.

構成・演出・振付・舞台美術:ジゼル・ヴィエンヌ

『こうしておまえは消え去る』

本日初日を迎えます!
この作品、初めて舞台で見るものが多く、
仕込みのときから圧倒されています・・・

以下、フェスティバル/トーキョでの公演を終えて
一息ついているジゼルさんのお写真です。
(左から、F/Tプログラム・ディレクターの相馬さん、特別アドバイザーのモン
ガゾンさん、ジゼルさん、制作のアン・セシルさん)

皆様のお越しをお待ちしております。

festivaltokyonite.JPG
posted by KEX at 17:38| Comment(0) | スタッフ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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